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■ いつの日か陽の下で 第一話 ■



(……ここは、どこだろう。)
冷たい土の感触と深い闇。壁面に所々に灯る松明は、光を生み出すには心細く、かすかに揺れながら不気味な影を踊らせている。
(フェイヨン地下洞窟――。)
生きている間に踏み入ったことは一度もなかった。だけど少年はそこがどこにあるのか、どういう時に必要とされる場所かを知っていた。
松明に近づきながら、ゆっくりと視線を落とし、自分の身につけている服を確かめる。だぶだぶの青い郷土衣装、白い手袋。頭には何かの帽子が乗っている。そして目の前過ぎてよくわからないけれど、頭上からぶら下がる黄色い御札。反対側から見ればきっと何かの紋様が書いてあるのだろう。けれどこちらからは墨の染みた模様しか見えない。
(そうか。僕、死んだのか。)
これは、弔いの装束だ。それを自分が着ている。つまり、自分は死んだのだ。
改めて辺りを見回す。どこまでも続く地底空間、終わりのない闇。けれどその闇の向こうで、何かがわずかな波を打った。
(なにかが動いた――?)
闇の揺らぎはゆっくりと人影になり、こちらへと近づいてくる。
不思議と警戒心はなかった。既に自分が死んでいるからなのか、まだ頭が朦朧としているからなのか。嗅覚は失われているはずなのに、その方角からはなんとなく今の自分と同じような匂いがする気がした。
まるで寝起きのようなぼんやりとした視線でその一点を眺めていると、次第にその人影は少女の姿をなしていく。だがその歩き方は人間のものではない。まるでウサギのようにぴょんぴょん飛び跳ねてこちらへやってくる。
「やっほー。」
場違いではないかと思われるほど軽やかな声は、まるで鈴を鳴らしたかのように心地よい響きを伴う。その言葉も本来ならこの場所にはふさわしくないものに違いない。
首の後ろにぶらさげた三つ編みを揺らしながら、白い肌の少女が近づいてくる。ゆったりとした赤の民族衣装、白い手袋。そして頭には自分と同じ、死者を弔う帽子と御札。
少女と言うには相応しくないかもしれない――そう、恐らくはかつて少女だったと思われる者。
(そうか、この子も死んだんだ。)
自分と同じような存在が目の前にいる。それはふと気を抜けば忘れかけそうな、自分が死人であるというこの現実を再認識するには充分だった。
「ねぇ、キミ、名前はなんていうの?」
三つ編みの少女は小首をかしげながら、きょとんとした瞳で質問を投げかける。揺れる御札から垣間見えた笑顔は、はにかんでいるのかちょっと照れくさそうな顔をしている。
「僕の、僕の名前は……。」
少年はそう言いながら、必死に頭の中で記憶の糸を巻き上げる。名前。ナマエ。ボクノナマエ。あれ? 僕の名前は、何というのか。いや、なんという名前だったのか。思い出せ。僕は誰だ?僕の名前は?
だけど考えれば考えるほど、答えはでてこない――――いや、分からないのだ。思い出せないというよりも、そこの部分だけごっそりと記憶が抜け落ちている。
「……僕は……誰なんだろう。」
半ば消え入りそうな声でそう呟く。今や自分が誰なのかすら分からない。そして何故ここにいるのかすら。
わかっているのは、恐らく自分は死んでいるということだけ。どうして死んだのかもワカラナイ。
「そっか、キミも記憶喪失なんだ。」
さして驚いた様子もなく、三つ編みの少女があははと笑う。
「え?」
「わたしもね、自分の名前わからないんだ。だから、ムナック。自分ではそう名乗ってるの。」
ムナック。それは息途絶えてなお動き続けるという死体――それも若い少女に名付けられる呼称。朧気な記憶を辿れば、生前に村で人を喰う妖怪の名前として言い伝えられていたはずだ。
(こんな可愛い子が妖怪なら、喰われてもいいのかも。)
少年はぼんやりと目の前のムナックと名乗った少女の顔を見遣りながら、一瞬そんなことを考えた。御札が邪魔してはっきりとは見えないが、やや切れ目の瞳と小さな顎、そして整った鼻筋が、生前は美しい少女であったであろうことを偲ばせる。
「ん?どしたの?」
だぶだぶの袖をちょこんと両手で掴みながら、こちらの顔をのぞき込んでくるムナック。
「あ、いや、その――綺麗だな、って。」
かつての自分、生前ならこんなことは例え思っても、照れくさくて口になどしなかっただろう。けれど今は何故か思ったことがすんなりと言葉に出せる。その口をついて出た言葉に自分で驚く。
どんな口説き文句よりも率直な言葉を聞いたムナックは一瞬、目を白黒させたかと思うと、その真っ白な肌をほのかに紅潮させてぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「あはは、へんなの。でも、ありがと。ここにきてからそう言われたの初めてかも。」
恥ずかしそうに両手で顔を隠しながら、嬉しそうにくるくると飛び回る。
「可愛いね。」
またもや虚を突いて誉め言葉が口から飛び出す。間違いなく少年が想い発した言葉だ。だけど、これほどまでに素直に感情が出せるとは……。驚きと戸惑いで思わず自分の眼前に垂れ下がった御札を見つめる。
「もぅ、そんなに褒めても何もでないよっ! 困った人だね!」
ムナックもまんざらではないという様子で、ぺちっと軽く少年の肩を叩く。
「それで、何て呼べばいいの?」本題を思い出した。そうだ僕の名前だ。
少し考えを巡らせ、やはり自分の名前がでてこないことを確認すると、少年はこう言葉を続けた。
「僕は……ボンゴン。それが僕の今日からの名前だと思う。」
ボンゴン――それは息途絶えて尚動き続けるという死体の呼称。
彼はそう名乗ることで、覚悟を決めた。そうだ。僕はもう人間じゃないんだ。死者、物の怪、妖怪なんだ――。
けど僕はこれからどうすればいいんだろう。ここでなにをすればいいんだろう。もう、死んでいるのに。
「そっか。ボンゴンね。よろしくね、ボンちゃん☆」
軽やかな声で笑顔を見せるその目の前の少女が、今は唯一の救いだった。


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