駆けつけた時には既に、洞窟の地面におびただしい量の腐液が流れていた。
それは腐った人間の血液。どす黒いだけでなく一部は緑に変色すらしていた。その中心で地に伏せっていたのは、彼女(ムナック)の愛しい人。
彼は視界の片隅に少女の姿を見つけると、驚きの表情と共に首だけ曲げて口を開く。
「来ちゃだめだ! 逃げて!」ボンゴンが獣の咆哮のように叫ぶ。それは生きている人間が聞いたなら、死に逝く者の断末魔のように聞こえたかもしれない。
弔いのための青い服はあちこちが切り刻まれ、腐った右腕はだらしなく地面へ向かってぶらりと垂れ下がっていた。
自分達が既に死者であるということを、今ほど強く自覚したことはない。恐らく生きた人間ならばとうに事切れているレベルの致命傷だ。
その姿を瞳孔に映した瞬間、ムナックは身体の底から叫び声を上げそうになる。いや実際上げたのかもしれない。
悲痛、苦痛、哀咽。その全てを含んだ負の感情が、全身を駆けめぐる。
「ボンちゃんに――なにをするのっ!」
《へへっ、次から次へと湧いてきやがるぜコイツラ。》
外界からの侵入者……メイルと呼ばれる金属鎧を身に纏った金髪の男騎士が口を開く。いや、確かに口を開いて、そう発したはずだった。だがムナックにはそれが音としてではなく、何故か脳裏に直接響いた。
「なんで、なんでボンちゃんをこんな目にっ!」
普段は鈴の鳴るような可愛いらしい声が、今は絶叫として洞窟内に響き渡る。
目の前で今にも崩れ落ちようとしているボンゴンの姿。驚愕は衝撃となりすぐに怒りへと変わる。
死者であるが故に長らく流れることのなかった血液。それがいま、全身の血管という血管を駆けめぐろうとしているのが自分でもわかる。
《おう、こんどはムナックのお出ましだぜ。》
《こいつの靴って確か高く売れるんだよな?》
騎士の背後から、今度は絹のローブを身に纏った栗毛の魔道士が現れる。その視線は自分の足元に注がれている。
一体何を言っているの――!? また声が脳裏に直接響く。彼らは間違いなく喋っている。だけど、ムナックにはそれがいくら耳を澄ませても音ある言葉には聞こえなかった。
「あたしたちをきちんと弔いもせずこんなところに棄てた挙げ句、今度は何の恨みがあってあたしたちを――!」
喉の奥から怒濤のようにこみ上げる
《ったくピィピィうるせぇ奴だな。》
《まったくだ。ちゃんと人間の言葉をしゃべれってんだ。》
人間の言葉?あたしは喋っているじゃない、ちゃんと――!
そこまで言葉が喉から出そうになって、ムナックはハッと気づいた。
自分の言葉が通じていない。生者の言葉を死者は理解できる。けれど死者は生者に言葉を伝えることが出来ない。生前、そんな話を聞いたことがあった。まさかあの時の疑問が今になって確信に変わるとは。
瞳を怒り炎で染めながら、少女は意識的に顎と舌を動かし、ゆっくりと、だが力の籠もった声でこう発した。
「ユルセナイ――ヨクモ、ヨクモ、ボンちゃんヲ……っ!」