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■ いつの日か陽の下で 第七話 ■




「……ボンちゃん?」
先に静寂を破ったのはムナックであった。だがその声はか細く、今にも消え入りそうなぐらい小さな囁きであった。
「……ん。」
わずかに喉の奥を鳴らすようにして返事を絞り出すボンゴン。
とても重い瞼を少しだけ開く。視界に飛び込んできたのは剥き出しの地面と腐った血液。そして以前よりも紅に染まったムナックの腕。
そこまで視界を巡らせて、ようやく彼女が自分の上に覆い被さっていることに気づいた。それも今にも朽ち果てんばかりの姿で。
「ゴメンね、守ってあげられなくて……」
耳を澄まさなければ聞き逃してしまいそうなほど、小さな声でムナックが囁く。
「ううん、それは僕のセリフだよ……ごめん。」
大好きな女の子を、守りたかった。けれど守れなかった。そのことがとても悔しかった。きっと死んでも死にきれないとはこういう想いのことを言うのだろう。すでに死んでいるけれど。
ふと、自分の手の甲になにかの液体がこぼれ落ちてくるのが分かった。腐った血液のようにどろっとしていない、これはまるで水のような――ボンゴンは少し考えを巡らせて、自分の身体の上で斃れているムナックの頭の位置からそれが彼女の涙であることに気づいた。
おそらく、死を悟っているのだ。死者に訪れる本当の死。すなわちそれは消滅。再び世界に溶け込み還っていくのだ。
「消えることが、悲しいの?」
少しでも彼女にとって魂の安らぎになればと思い、問うたボンゴンであったが
「ううん。違うの。ボンちゃんの記憶まで消えてしまうことが悲しいの。」
返ってきた答えは意外なものであった。
彼女はそれだけ自分の事を想ってくれていたのだ。それがとても嬉しく、そして本当の死を迎えた今はとても悲しかった。
「これ以上、記憶がなくなったら――あたし、どうなるのかしら。」
記憶。自分の記憶。名前すら分からない自分の記憶。そこまで考えてボンゴンはふと気づいた。
名前とは生ある物につけれられる呼称。死者には必要のないもの。ああ、そうか。自分は名前を忘れていたのではない。弔いの名前すら付けられなかった自分にとって、死という命の消滅と同時に名前は永遠に失われていたのだ。
いまここにいるのは、一人のムナックと一人のボンゴン。死者にとって本当の意味で名前も自我も必要ないのだと。その現実がとても哀しかった。
「あたしね……好きな男の子がいたの。」
ちくり。次第に薄れつつある自分の魂の中で、胸の部分が小さく収縮するように痛む。
「名前も、顔も思い出せない。だけど、キミをみていると何か懐かしくて。」
自分がこの少女に抱いていた感情と同じものを、彼女もまた自分に対して感じていたのだ。
輪郭すら朧気できちんと思い出せない少女。ただ憶えているのは、その満面の笑顔が自分にとってまるで太陽のようだったということ。
「もっと、二人で一緒にいたかったな……。」
次第にか細くなる声で、ムナックは呟く。
「ごめんね。」
ううん、とボンゴンは軽く首を横に動かす。頬に触れているはずの土の感触が、だんだんと薄れつつある。
もう、瞼を開けているのも辛い。
けれど消え去る最期のその瞬間まで、この目の前の少女を見つめていたい。ボンゴンはありったけの力で目を見開くと、自分の上で今にも崩れ落ちそうな少女を、なんとかその視界に入れようとする。
「今度……。今度、生まれ、変わったら、お日様の下で、ピクニックしようね。」
視線が届いたのだろうか。発する声も途切れ途切れになりながら、ムナックが告げる。
「うん。」
「約束、だよ。」
「うん。」
同じく消え入れそうな声で辛うじて返事をするボンゴン。
最後の力を振り絞り、その腕を少しだけ、その手を少しだけ動かす。思っていたより近くに少女の手はあった。
もうほとんど力の入らない手で、焦げて炭のようになった少女の手をぎゅっと握りしめる。端からみればただ手を添えただけに見えたかもしれない。けれど彼の中では、精一杯の力で握りしめたつもりだった。
手を握られたムナックは安堵の表情を浮かべながらゆっくりと瞼を閉じ、安らかな笑顔でボンゴンに微笑む。
「ありがとう……さよう、なら。」
それが、少女の最期の言葉であった。

やがて二人の身体は次第に闇に溶け、土と一体化していく。まるで元からそこには何もなかったかのように。
動くもののいなくなった地下洞窟。ただ松明の光だけが深い闇の中で僅かに揺らめいていた。




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